
金型設計において、製品の形状そのものと同じくらい、あるいはそれ以上に重要な要素があります。それが「抜き勾配(Draft Angle)」です。 図面上ではわずか数度の傾きに過ぎませんが、この角度が不適切だと、数百トンの型締力を持つ成形機を使っても製品が金型から外れず、無理に突き出せば製品は破損し、最悪の場合は金型そのものを破壊してしまいます。
「たかが1度、されど1度」。
設計者は、製品の意匠性や機能性を損なわない範囲で、いかにスムーズに離型させるかを計算しなければなりません。 本記事では、射出成形およびプレス加工(鍛造等)における抜き勾配の理論から、材質やシボ深さに応じた角度の計算式、JIS製図法に基づく図面への正しい指示方法、そして金型保守の現場で役立つトラブル対策まで、実務に即した知識を徹底的に解説します。
- 1. 抜き勾配とは:金型における「生存本能」
- 2. 成形法による勾配の違い:射出成形 vs プレス加工
- 3. 適切な角度の決定ロジックと計算式
- 4. 図面への書き方と指示方法
- 5. 金型設計とPL(パーティングライン)
- 6. トラブルシューティング:抜け不良と対策
- 7. 現場で役立つ寸法公差と勾配の関係
- 8. まとめ:1度の重みを知る
1. 抜き勾配とは:金型における「生存本能」
抜き勾配(Draft Angle / Taper)とは、金型から成形品をスムーズに取り出す(離型する)ために、金型の開閉方向(抜き方向)に対して設ける傾斜のことです。 垂直な壁に見える部分でも、厳密にはわずかに末広がり(または先細り)になっています。
物理的なメカニズム
なぜ勾配が必要なのでしょうか。それは「摩擦」と「真空」の問題です。
- 摩擦抵抗の低減: 完全に垂直(0度)の壁の場合、製品が金型から離れる瞬間まで、壁面の全域が接触し続け、摩擦抵抗が発生し続けます。 一方、勾配がついていれば、金型がわずかに(例えば0.1mm)開いた瞬間に、製品と金型壁面の間に隙間(クリアランス)が生まれ、摩擦がゼロになります。初期の「張り付き」さえ剥がせば、あとは無抵抗で取り出せるのです。
- 真空吸着の防止: 底のある箱形状(コップなど)を垂直に抜こうとすると、製品と金型の隙間が真空状態になり、強力な吸着力が発生します。勾配をつけることで、離型と同時に空気が入り込み、真空状態を解消します。
- 成形収縮による抱きつき: 樹脂や金属は冷えると収縮します。 凸型(コア)に対しては、収縮によって製品が強く締め付けられます(抱きつき)。勾配がないと、この収縮力による摩擦で抜けなくなります。
2. 成形法による勾配の違い:射出成形 vs プレス加工

「抜き勾配」という概念は共通ですが、射出成形とプレス加工(特に鍛造)では、求められる角度や考え方が異なります。
射出成形(プラスチック)の場合
樹脂は弾性(変形しても戻る性質)があり、かつ滑りやすいため、比較的小さな角度で離型できます。
- 一般的目安: 1/2° 〜 1° (0.5度〜1度)
- 深いリブやボックス内部: 1° 〜 2°
- 機能部品(摺動部など): ゼロ勾配(0°)が求められる場合もありますが、その際はスライドコアや特殊な離型処理が必要です。
プレス加工(鍛造・絞り)の場合
金属は樹脂に比べて硬く、摩擦係数も高いため、より大きな勾配が必要です。
- 熱間鍛造: 5° 〜 7° 高温で材料が軟化しているものの、金型表面への凝着が強く、酸化スケールの噛み込みもあるため、大きな角度が必要です。
- 冷間鍛造: 1° 〜 3° 潤滑剤(ボンデ処理など)を使用し、エジェクター(突き出しピン)で強力に押し出すため、熱間よりは小さくできます。
- 深絞りプレス(板金): 原則として勾配は不要(垂直でOK)です。板材を「引張りながら流し込む」ため、金型と常に接触しているわけではないからです。ただし、金型から製品を抜くためのパッドやストリッパの設計が重要になります。
3. 適切な角度の決定ロジックと計算式

「何度にすればいいですか?」という質問に対する答えは、「形状と条件による」となります。 設計者が角度を決める際に用いる計算式と基準を解説します。
基本計算式:高さと倒れ量の関係
勾配をつけると、製品の上部と下部で寸法差(倒れ量)が生じます。 これを計算せずに図面を描くと、嵌合(かんごう)不良の原因になります。
:片側の倒れ量(寸法差) (mm)
:壁の高さ (mm)
:抜き勾配角度 (°)
【計算事例】 高さ のボスに、角度
の勾配をつけた場合、根本と先端でどれくらい太さが変わるか。
片側で約0.87mm、直径(両側)では も寸法が変わります。 「たかが1度」でも、高さがあるとこれだけの寸法差になるのです。
シボ加工(テクスチャ)がある場合の計算
製品表面に革シボや梨地などの凹凸模様(シボ)をつける場合、勾配は通常よりも大きくしなければなりません。 シボの凹凸に金型が引っかかり(アンダーカット状態)、抜く際に削れてしまう(シボ擦れ)からです。
【経験則ルール】 シボ深さ 0.013mm(13μm)につき、1.0° の勾配を追加する。
例えば、深さ30μm(約0.03mm)のシボを入れる場合: 基本勾配(1°)+ シボ分() = 合計 3.3° 以上 これを無視すると、試作一発目で製品側面が傷だらけになり、金型修正(勾配変更=大改造)が必要になります。
4. 図面への書き方と指示方法

設計者の意図を金型製作者に正確に伝えるためには、JIS製図法に基づいた明確な指示が必要です。 曖昧な指示は、寸法公差外れの最大の原因です。
① 角度の記入方法
製品図(2D図面)において、勾配面には角度寸法線を入れ、「1°」や「1.5°」と明記します。 全ての面に記入すると図面が煩雑になるため、注記で一括指示するのが一般的です。
注記例: 「指示なき抜き勾配は 1° とすること」 "Draft angle to be 1° unless otherwise specified."
② 基準寸法の指示(重要)
勾配をつけると寸法が変化するため、「どこを寸法の基準(公差有効位置)とするか」を指示しなければなりません。これを間違えると、相手部品と組み付かなくなります。
- キャビティ側(凹形状)の場合: 通常は「口元(大端)基準」とします。 金型加工時にエンドミルで輪郭を削る際、上面を基準にする方が加工しやすいためです。また、製品の外観寸法として重要なのは最大外形であることが多いからです。 図面指示:口元寸法に公差を入れ、奥側に向かって「マイナス勾配」となるように指示します。
- コア側(凸形状)の場合: 通常は「根元(大端)基準」とします。 ボスやリブの根元寸法が決まっていないと、強度計算や嵌合確認ができないためです。 図面指示:根元寸法に公差を入れ、先端に向かって「マイナス勾配(先細り)」となるようにします。
③ 記号による指示
勾配の向きを直感的に伝えるために、記号を使うことがあります。
- +(プラス)勾配: 基準面から金型が開く方向に向かって広がる勾配。
- -(マイナス)勾配: 基準面から金型が開く方向に向かって狭まる勾配(通常の凸形状)。
ただし、プラスマイナスの定義は会社や業界によって逆になることがあるため、図記号(三角形の傾き記号)や断面図での図示を併用するのが確実です。
5. 金型設計とPL(パーティングライン)
抜き勾配は、金型の分割線(PL)とセットで考える必要があります。
固定側と可動側の取り合い
射出成形では、金型が開いたときに製品が「可動側(コア側)」に残るように設計するのが鉄則です(エジェクターピンが可動側にあるため)。 そのため、抜き勾配による離型抵抗(摩擦力)のバランスを計算します。
- 固定側(キャビティ): 勾配を大きくする(抜けやすくする)。
- 可動側(コア): 勾配を小さくする、またはゼロにする(抱きつかせる)。
意図的にコア側に抱きつかせることで、型開き時に製品がキャビティに取られる(キャビられ)トラブルを防ぎます。
食切り面の勾配(Shut-off Angle)
金型の固定側と可動側が金属同士で接触して穴を開ける部分(食切り、キスオフ)にも勾配が必要です。 垂直面同士を擦り合わせると、金型摩耗(カジリ)が発生します。 最低でも3°〜5°以上の勾配をつけ、型締め時に「面」で接触してシールするように設計します。
6. トラブルシューティング:抜け不良と対策

「計算通りに勾配をつけたのに、抜けない」。 試作現場で頻発するトラブルの原因と対策を解説します。
① 白化(Stress Whitening)
無理な力で押し出した結果、製品の一部(エジェクターピン周辺など)が白く変色する現象です。 原因: 勾配不足による張り付き、または金型表面の磨き不足。 対策: 勾配を増やす。それが無理な場合、金型表面を鏡面研磨(ラップ仕上げ)し、抜き方向に沿った縦磨きを入れる。
② かじり(Galling)
製品側面が削れてささくれたり、ひどい場合は金型の一部がもぎ取られたりする現象。 原因: 勾配不足、アンダーカット(加工目の引っかかり)、成形収縮率の見積もりミス。 対策: 金型修正で勾配を追加する。DLCコーティング等の潤滑コーティングを金型に施す。
③ 真空密着(Vacuum Stick)
底の深い箱形状で、「ポンッ」という音と共に製品が変形したり、底が抜けたりする現象。 原因: 勾配はあるが、空気が入る隙間がない。 対策: 勾配の問題ではない。コアの先端に「エアポペット(空気弁)」を設置し、突き出し時に空気を吹き込んで真空破壊を行う。
7. 現場で役立つ寸法公差と勾配の関係
設計図面では、寸法公差(例:)と抜き勾配の指示が矛盾することがあります。 検図や品質保証の現場で揉めないためのルールを紹介します。
「公差内」に勾配を収める考え方
機能上重要な寸法の場合、勾配による倒れ量を含めて公差内に収める指示をします。
指示例: 「抜き勾配は公差内に含めること」 "Draft angle must be within dimensional tolerance."
例えば (範囲:9.95〜10.05)の穴の場合: 口元を
、底を
にすれば、差引
分の勾配をつけることができます。 深さが10mmなら、
→
程度の勾配が確保できます。 これ以上勾配が必要な場合は、設計者に公差緩和を申請する必要があります。
8. まとめ:1度の重みを知る
抜き勾配は、製品図面上では「形状を歪める邪魔者」に見えるかもしれません。 しかし、金型製造、成形加工、量産品質の全ての工程において、抜き勾配は製品を生み出すための「産道」のような役割を果たしています。
- 射出成形なら1°、鍛造なら5°を基準にスタートする。
- シボがあるなら、深さに応じて角度を足し算する。
- 図面には「どこが基準寸法か」を明確に指示する。
- 垂直に見えても、公差の範囲内でわずかに傾ける技術を持つ。
優秀な金型設計者の図面は、一見すると直角に見える箇所にも、必ず意図的な0.5度や1度が仕込まれています。 「神は細部に宿る」と言いますが、製造業において神は「勾配」に宿ります。 たかが1度、されど1度のこだわりが、不良率ゼロの完璧な量産ラインを実現するのです。