
金属は外見上は丈夫でも、内部では徐々に劣化が進むことがあります。
その代表例が「水素脆化(Hydrogen Embrittlement)」です。
金属内部に侵入した水素が結晶構造に影響を与え、強度や靭性を低下させ、わずかな応力でも突然破断する現象で、特に高強度鋼(引張強度1000MPa以上)で深刻です。
自動車部品のボルト破断や水素ステーション設備の漏れ事故など、実務上の品質トラブルに直結するため、製造工程や材料設計での対策が不可欠です。
本記事では、水素脆化の仕組み、原因、検出方法、業界事例をわかりやすく解説します。
- 水素脆化とは? ― 金属の中で“見えない破壊”が進む現象
- なぜ水素が金属に入るのか?
- 水素が入るとどうなる? ― 破壊のメカニズム
- どんな材料が危険なのか?
- 実際に起きるとどうなるのか?
- 水素脆化が引き起こすトラブル(業界別の事例)
- 検出・評価方法
- 水素脆化を防止するには?
- 水素脆化と「腐食」の違い
- まとめ
水素脆化とは? ― 金属の中で“見えない破壊”が進む現象
「水素脆化(すいそぜいか)」とは、金属の内部に入り込んだわずかな水素が原因で、金属の強さや粘り強さが低下し、突然割れてしまう現象のことをいいます。
英語では Hydrogen Embrittlement(ハイドロジェン・エンブリットルメント)と呼ばれ、特に高強度鋼(こうきょうどこう)と呼ばれる硬くて丈夫な材料で起こりやすい劣化現象です。
一見すると金属の表面はピカピカで、何の異常もないように見えます。
しかし内部では、水素原子が少しずつ侵入して金属の結晶構造(原子の並び方)を乱し、わずかな力でもパキッと壊れてしまう状態になっていることがあります。
このように、外からは見えない内部破壊が進むため、「見えない破壊(invisible fracture)」とも呼ばれています。
なぜ水素が金属に入るのか?
水素は非常に小さな原子で、さまざまな工程や環境から金属内部に入り込みます。
その侵入経路には、次のようなものがあります。
・めっき処理:金属の表面を保護するために亜鉛やニッケルを電気めっきする際、電解反応で水素が発生し、表面から吸収される。
・酸洗(スケール除去):酸性液で表面のサビやスケールを除去するとき、水素イオンが金属と反応して侵入。
・溶接や熱処理:高温下では金属が水分や油分と反応して水素を取り込むことがある。
・高圧水素環境:水素ガスを扱う配管・タンクなどでは、圧力によって水素が徐々に金属中へ拡散する。
つまり、製造工程でも使用環境でも水素は自然に入り込む可能性があります。
特に高強度の鋼材は、内部に微小な欠陥(転位・介在物など)が多く、水素が溜まりやすい構造をしているため、脆化が進行しやすいのです。
水素が入るとどうなる? ― 破壊のメカニズム
金属中に入った水素は、原子レベルで移動しながら、次のようなステップで脆化を引き起こします。
1. 水素の侵入
表面から水素原子が金属内部へと吸収される。
2. 拡散と集積
水素は結晶のすき間を通って移動し、内部の欠陥(転位や粒界、介在物など)に集まりやすい。
3. 脆化・割れの発生
集まった水素が金属原子の結合力を弱め、応力がかかったときに微小な割れ(クラック)が発生。
割れは時間の経過とともに拡大し、ある瞬間に突然破断に至る。
この破壊は「ディレイドフラクチャー(Delayed Fracture)」とも呼ばれます。
見た目には問題がなくても、応力や時間の影響で遅れて破壊が起きるのが特徴です。
そのため、検査や出荷時に異常がなくても、実際の使用中に破断するという厄介な問題を引き起こします。
どんな材料が危険なのか?
水素脆化は特に以下のような高強度材料で注意が必要です。
| 材料の種類 | 特徴 | 水素脆化のリスク |
|---|---|---|
| 高強度ボルト鋼(SCM435、SNB7など) | 強度が高く、応力が集中しやすい | 非常に高い |
| ばね鋼(SUP10など) | 引張応力が常にかかる | 高い |
| 焼入れ・焼戻し鋼 | 微細な組織変化で水素が滞留しやすい | 高い |
| ステンレス鋼(特にマルテンサイト系) | 一部の種類では水素脆化が発生 | 中程度 |
| チタン合金、ニッケル合金 | 水素吸収による脆化の可能性あり | 用途による |
つまり、「高強度」「高応力」「高圧環境」という3条件が重なるほど、水素脆化は発生しやすくなります。
実際に起きるとどうなるのか?
水素脆化は、見た目ではほとんど分からず、破壊が突然起きるのが特徴です。
例えば、自動車のサスペンションを固定する高強度ボルトが、走行中にいきなり折れるといった事故が報告されています。
破断面を電子顕微鏡で観察すると、延性破壊(ねばりのある破面)ではなく、粒界破壊と呼ばれる脆い破面が確認されます。
さらに厄介なのは、破壊がゆっくりと内部で進行しているため、通常の目視検査や外観検査では発見できないという点です。
そのため、検査工程での見逃しや、製品保証上のトラブルにもつながりやすいのです。
水素脆化が引き起こすトラブル(業界別の事例)
1. 自動車業界(高強度ボルトの突然破断)
自動車用の足回り部品やエンジンマウントには、軽量化のために高強度鋼ボルトが多用されています。
ある自動車メーカーでは、Znめっき後にベーキング処理(焼取り)を怠った結果、走行中にサスペンションボルトが破断するトラブルが発生しました。
原因は、めっき工程で吸収された水素が残留し、応力集中部で脆化を進行させたことでした。
対策として、めっき後180℃×2時間のベーキング処理を追加し、再発防止に成功。
2. 建設機械業界(高張力ボルトの緩み・破断)
油圧ショベルのブーム接合部で使用される高張力ボルト(10.9級以上)が、使用開始数ヶ月で破断。
非破壊検査では表面にクラックが確認されず、破面観察で「脆性破壊特有の河川模様」が確認されました。
原因は酸洗い時の過酸洗による水素侵入でした。酸濃度と時間の見直し、および中和洗浄工程の追加で防止されています。
3. 水素ステーション設備
ステンレス鋼(SUS316Lなど)は比較的水素脆化に強いとされますが、高圧水素下(70MPa以上)では脆化が進行することがあります。
水素貯蔵タンクや配管部では、微小漏れや突発破断のリスクがあり、特に溶接部の熱影響部(HAZ)で割れが生じやすいことが知られています。
このため、水素関連機器では「水素脆化評価試験(HE試験)」が義務化されつつあります。
検出・評価方法
水素脆化は外観検査では判別が難しく、内部に潜むため非破壊検査や材料試験による評価が不可欠です。代表的な方法を紹介します。
1. ディレイドフラクチャー試験(Delayed Fracture Test)
試験片に引張応力を加え、一定時間後の破断挙動を観察する方法。
水素が多いほど破断時間が短くなります。自動車用ボルトなどでは標準試験として採用されています。
2. 水素透過試験(Hydrogen Permeation Test)
金属内部を透過する水素量を電気化学的に測定し、拡散挙動を定量評価します。
材料や処理条件の比較に有効で、めっきの影響やベーキングの効果検証にも使われます。
3. 破面解析(SEM観察)
走査型電子顕微鏡(SEM)で破面を観察し、「河川模様(river pattern)」や「二次割れ」を確認します。
水素脆化破面は延性破面と異なり、粒界破壊の特徴を示します。
4. 非破壊検査(AE・超音波)
進行中の微小割れを音響放射(AE)や高感度超音波で検出する試みも増えています。
特に水素ステーションや航空機部材など、運用中モニタリングが求められる分野で活用が進んでいます。
水素脆化を防止するには?
1. 工程管理による防止
・めっき後のベーキング処理(180〜200℃×2〜4時間)
・酸洗工程での酸濃度,時間の適正化
・脱脂,乾燥管理で水素発生を抑制
・めっき代替(亜鉛→ジオメットなど)の検討
2. 材料設計による防止
・高強度鋼の代わりに中強度鋼+表面処理強化
・NiやMo添加鋼で水素拡散を抑制
・材料内部の介在物,非金属元素の低減
3. 使用環境での配慮
・高湿度,腐食性雰囲気を避ける
・水素ステーションでは拡散バリアコーティングを採用
・メンテナンス時の再加熱や再めっき禁止のルール化
水素脆化と「腐食」の違い
水素脆化は一見、サビや腐食と似ていますが、外見的な腐食がなくても起こる内部劣化です。
腐食が「化学反応で金属表面が溶ける現象」であるのに対し、水素脆化は「原子レベルでの結合力低下」によって破壊が起こります。
つまり、“見た目がきれいでも壊れる”のが水素脆化の怖さです。
まとめ
まとめると、水素脆化とは次のような現象です。
・金属内部に侵入した水素が原因で、強度や靭性が低下する
・特に高強度鋼やばね鋼などで発生しやすい
・外観では異常が見えず、時間差で破断することもある
・めっき,酸洗,溶接などの製造工程で水素が侵入する
・製造業では「見えない劣化」として品質保証上の重大課題
水素エネルギーが普及するにつれ、材料の水素耐性は新たな品質保証の柱となります。
経済産業省や自動車各社では、水素脆化に関する評価基準(ISO 11114-4、JIS Z 3117など)の策定が進行中です。
さらに、AIを用いた破断解析や、水素拡散シミュレーションによる予知保全も始まっています。
今後は「見えない破壊」を事前に検知し、防止する設計品質保証が鍵となります。


