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読書メモ:「東京裁判を批判したマッカーサー元帥の謎と真実」 吉本貞昭

 

極東国際軍事裁判は開戦当時にはなかった「平和に対する罪」や「人道に対する罪」といった事後法で裁いたことと、結果として戦勝国の理論で敗戦国の指導者を処刑したがそのある種見せしめが次の戦争の抑止力とはならないという点で失敗だった、というのが本書の論旨だ。その2点に関して、東京裁判は誤りだったという主張。
それと天皇の戦争責任がなぜ問われなかったか?についても記述があるがいまいち腑に落ちなかった。豪を除く連合国はなぜ占領前から天皇の責任を問わないことを決めていたのか、議論しているうちにいろいろな新たな問題が出て自然消滅的にたち消えになったというのはどうも納得できなかった。

 

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以下、読書での私的メモ。

 
マッカーサーは、東京裁判が開始される以前から、アメリカ政府に対してA級戦犯をあくまでもB級裁判で裁くことを主張し、当時の国際法では規定されていない事後法(「平和に対する罪」「人道に対する罪」)を用いて裁くことに対して、一貫して批判的な態度を取り続けていたことは、あまり知られていない。
 
 
戦後の日本では、マッカーサーが天皇の上に君臨したせいか、まるで彼が絶対的な権力者のように思われているが、これはあくまでも天皇と日本国民に対する無制限の権力であって、彼は実際には東京裁判はおろか、占領統治や検閲についてさえも、最初から極東委員会とアメリカ政府から一定の制約を受けていたのである。
 
 
ところで、後に東京裁判は、戦勝国が一方的に敗戦国である日本の戦争指導者に戦争責任の全てを押し付けて裁いた「勝者の裁き」だったと言われるが、それはなぜだろうか。
その理由の一つは、東京裁判が現行の国際法に規定されていない二つの事後法(「平和に対する罪」「人道に対する罪」)によって、裁かれた裁判だったことにある。
例えば、京都大学法学部名誉教授の田岡良一(国際法学者)は、インド代表のパール判事の東京裁判に対する批判点について、次のように紹介している。
パール判事は、『いわゆる「平和に対する罪」なるものに、法律理論の見地から、また政治的賢明の原則の見地から、厳密な検討を加える。一国が他国に向かって武力を行使することを犯罪とする国際法は、被告らが日本の政治・軍事の指導者として行動していた期間には、存在しなかったことを、この期間における国際関係の史実と、国際法学者の言説とを豊富に引用して証明し、「平和に対する罪」なるものを犯罪とみなすことはできないと結論する。・・・また条約締結以降、第二次大戦までの間に、条約に違反する武力行使はしばしば行われたが、これが列国から犯罪と見なされ、違反国の指導者たちの個人的責任を問い刑罰を科することが、問題となった例は海部である。
 
 
人がある行為をなした時に、それは犯罪でなかったにもかかわらず、後からその行為は犯罪であったと称して、かれを刑に処するのは、法によらずして人を罪に陥れるものであり、権力者の一存によって人間の生命と自由を奪うものであり、人権と自由を重んじる近代の精神に逆行する行為である。もっとも1946年1月に国際軍事裁判所条例なる法が作られ、その第5条に、侵略戦争および条約に違反する戦争を犯罪とすると規定したが、この条例自体が、被告らの行為がなされて後に作られた法であり、権力者の一存によって制定された規則である。このようなものを作って「法」による「裁判」という形式をとったところで、法によらずして人を陥れるものであることに変わりはない。』
 
 
後に、東京裁判でA級戦犯被告全員に対して、無罪判決を唱えたパール判事は、意見書の末尾を、次のような一文をもって結んでいるが、この一文こそ、デービス大統領が記念碑の台座にワーズ大尉の冤罪をはらすために書いた彼への鎮魂歌だったのである。
「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤の平衡を保ちながら、過去の多くの賞罰に、その処を変えることを要求するであろう」