Instant Engineering

エンジニアの仕事効率を上げる知識をシェアするブログ/QC統計手法/公差設計・解析/TPS(トヨタ生産方式)

読書メモ:「カーネギー自伝」 アンドリュー・カーネギー

 

カーネギー自伝 (中公文庫BIBLIO)
カーネギー自伝 (中公文庫BIBLIO)
 

カーネギーは自身が語っているように楽天家だったようだ。
”世界は明るく、この世が本当の楽園のように思われて、いつも愉快で自分の幸運に感謝していた”カーネギーが自ら著したこの本は、たとえ予期しない世界情勢の変化によってある意味、未完のまま終わっているとしても、実業界での物質的な成功を追い求めるためではなく、広く人生一般の糧を得るための本として少しもその価値を失わない。
読んでいて思ったのは、
「〜〜の出来事ほど私の人生にとって嬉しかったことはない」や、
「〜〜という人ほど善良で魅力のある人物を他に知らない」といった賛辞が惜しみなく何度も登場してくることだ。「最も深い友人」と呼ぶ者さえ何回も登場するので、カーネギーさん、いったいあなたの本当の親友は誰ですか?と思わず心の中で突っ込んだが、きっと、カーネギー氏は本当の意味で心の底からそれぞれの人に対していちばんだと感じていたのだろう。性善説で生きることの大切さを改めて知る。 

 

 *

 

以下、読書での私的メモ。

 

明るい性格は、財産よりももっと尊いものである。若い人たちは、性格というものは養成することができるし、人間の心も体と同様に、日蔭から日光の照る場所に移るべきであるということを憶えておいていただきたい。陽の当たる場所へ出ようではないか。できるなら困ったことも笑いでふっ飛ばしてしまおう。人間は少しばかりでも考えることができる人であるなら、そうすることができるのである。もちろん、自分の誤った行為から出たものであるなら、自責の念が笑ってすませはしないであろう。それから逃れることはできない。そのような「汚点」をぬぐい去ることはできない。自分のうちにある裁判官は裁きの座に坐って、彼をあざむくことはできないのである。スコットランドの偉大な詩人ロバート・バーンスは「汝の良心の声のみを恐れ、それに従え」といっているが、これは人生のすばらしい法則である。私は若いころからこれを自分の生涯の金言として採用したが、一生のうちにきいた数えきれないほどのたくさんの説教より、私にとって意義があった。 

 

 

この計画の思い出は、私のうちにあった組織力の最初の現われで、これを発展させていったのが後年、私の物質的な成功にかかっていたと見て、私は大切にしているのである。この成功は、私が物ごとを知っていたからとか、私自身でやったとかに帰すべきものではなく、むしろ、私よりものごとをよく知っている相手を見つけ、そのような人たちを選ぶ才能に帰すべきなのである。これは誰にとっても持っていてほしい貴重な知識なのである。私は蒸気機関についてのなんの知識ももっていなかった。しかし、私はそれよりももっと複雑な機械ー人間ーを知るように努めたのであった。

 

 

しかし、芝居に関しての私の鑑賞も、エドウィン・アダムズという有名な悲劇役者が、ピッツバーグ劇場でシェークスピア物を上演するようになってから変わってきた。その後は、シェークスピア物でなければ私は感心することができなかった。私は、努力せずに台詞を暗記することができた。それまで私はことばのなかにある不思議な力を知らなかった。リズムとメロディはみな、私の心の中にそれぞれ安置され、一つの大きなかたまりとなって、いつでも私が呼べばすぐそれに答えて飛び出してくれるのであった。私は新しいことばを使いこなすことができるようになった。とくに『マクベス』の上演を見てからは、私の関心はいちだんと強められていった。『ローエングリン』の歌劇を通じて私が、ワグナーに親しむようになったのは、それからずっと後のことであった。これを聴いたのはニューヨークの音楽協会の演奏会であって、これは私の眼を開いてくれた。この天才の作品を通じて、シェークスピアの場合と同様、私は新しい友を発見し、新しい梯子を登りはじめたのであった。

 

 

毎朝、電信室の掃除をしなければならなかったので、少年たちは、通信技手たちが来る前に、電信機で練習するひまがあった。これは、私にとって新しい機会であった。私はすぐキーを操作して、私と同じような目的で機械をいじくっている他の局の少年たちと通信を始めたのである。なにか新しいことを学ぶ機会があるなら、それを捉えて逃がさず、自分の知識を試してみるということは大切である。

 

 

新任の裁判官というものはあまりに張り切っていて、きびしすぎるきらいがある。経験だけが、慈悲という最高の徳を教えるのである。軽いが、必要に応じて適切な罰を加える、これが最も効果的なのである。厳罰は必要ではない。少なくとも最初の過ちに対しては、なさけのある処罰がいつも有効的なのである。

 

 

キーストン会社の橋は最も風当たりの強いところでもびくともしなかった。運がよかったからではない。私たちは最良の資材、しかもそれを十二分に使ったというだけなのである。私たちは自分の作業を最も厳重に検査し、安全なものを作るか、そうでなければ手をつけないという方針を厳守していた。私たちは力量の足りないものとか、科学的に承認できないデザインの橋を建設してくれと頼まれるときは、はっきりと断った。どんな作業であっても、キーストン橋梁製作所の印を付したものは、全責任を負って保証したのである。合衆国の州で私たちの仕事が見られないというところはない。英国の文豪トマス・カーライルの父親は、アンナン河に橋をかけたのであるが、この有名な息子は「正直な橋」とって自慢にしていたが、私たちも自分の仕事にそのような誇りを持っていた。
この営業方針が成功のほんとうの秘訣といってよい。もちろん、認められるまでは相当の年月がかかるかもしれないが、それから後は順風に帆をあげて走るようなものである。製作会社は、検査官をけむたがるかわりに、歓迎すべきである。最高の標準に到達するのはそんなにむずかしいことではない。人間はそのような努力で教えられ、鍛えられるのである。私は長い一生のうちに、よい正直な仕事をしない会社が成功したのを見たことがない。そして、当時の最も激しい競争のさなかにあって、なんでも価格だけでものごとが決められると思われがちであったが、事業の上で成功する根本の原則はもっと重大な仕事の質にあると私は固く信じていた。上は社長から下は最下級の工員にいたるまで、事業に携わっているひとりびとりが質に全精力を集中しているということは、その事業にかけがえのないほど重大なのである。したがって、この問題に関連して清潔でよい工場と機具、整頓された資材の置き場と環境は、普通一般に考えられるよりも、もっと大切なのである。
 
 
 
当時の私たちはまだ産業界のかけ出しであったが、サイクロップス製鉄所のために三町歩の敷地を買って、そんな広い敷地をどうするのかとみんなにあきれられた。数年間、敷地の一部を他の会社に供していた。しかし、まもなく、こんな狭い場所では製鉄事業はできないということが明らかになった。クローマンは鉄骨の製作に成功し、長い間、私たちの会社はこれを独占的につくっていた。
私たちはたえず新しい試みに積極的に乗り出し、他の会社が手を出さないことも、やって見て、どんどん成功していった。同時に、質的に最高のものを造る、そうでなければぜんぜん手をつけないという原則を固く守った。いつもお得意の要求に答えるように努めたが、そのため時には多額の金を使って、足を出すこともたびたびあった。なにか問題が起きると、疑わしい点はいつも相手に有利に解釈する方針をとった。これが終始一貫した私たちの方針であったから、私たちは一度も訴訟問題を起こしたことはない。
 
 
私は一生のうち一回を除いては、投機的に株を売買したことはない。
(中略)
生産事業に携わる人たちや、専門の職にある人たちに、私はこの考え方をすすめたい。とくに、事業の経営者にとって、この心構えは大切である。長い眼で見る時、的確な判断に優るものは他にない。株式市場の目まぐるしさにまどわされている人は、健全な判断力を失うのである。酒に酔ったと同じ状態になるので、ありもしないものを信じ込み、あると思ったものも、皆ないということになる。相対的に物を見ることができないし、また将来の見通しがゆがめられてしまうのである。もぐら塚が山に見え、山がもぐら塚と見える。理性の判断によらなければならぬ結論に、なんの根拠もなく一足とびに突入してしまう。相場に気を奪われているので、冷静に考えることができないのである。投機というのは寄生虫で、それに自体になんの価値もないものなのである。
 
 
人間の苦悩の大部分は想像のなかにあるだけで、笑ってふきとばしてしまえるものが多い。河に来るまで橋を渡る必要はないし、悪魔に出会うまでお早うとあいさつすることもない。取り越し苦労は愚のいたりである。コツンと頭をぶたれるまで、すべてうまくいっているので、ぶたれたからといって、十中の八、九までは予想したほどひどくなかったかもしれない。賢い人は徹底的な楽天家なのである。

 

 

大事業というものは、きびしい誠実さの上にだけ築きあげられるもので、それ以外のなにも要求しないのである。うまく立ち回るとか、すばしこい取引きをやるなんていう評判が立ったら、大きな商売には命とりになる。法律の文言ではなく、その精神があらゆる取引きの規準でなければならない。商業道徳の規準は現在、非常に向上している。なにかの思い違いで、一商社が不当の利得を得た場合、その商社は、相手の損失にならないよう、さっそく訂正している。ある商社が、たんに法に従うというばかりでなく、相手方に公平と正義を持って接するという評判は、その商社の永続繁栄の基となるのである。私たちが採択し、また遵守した「疑いのある時には、いつも相手方に分をあたえること」という方針は、想像以上の多くの報酬をもたらしたのであった。こうしたことはもちろん、投機者の社会では適用されていない。あの社会ではまったく違った空気が流れている。彼らは賭博者なのである。株の投機とまともな商売とは成立しない。

 

 

「一つの籠に手持ちの卵をみんな入れてはいけない」という諺とは逆の方針をとることにしたのであった。私は「よい卵をみんな一つの籠に入れて、その籠から眼を離さない」というのが正しい方針だと、決意したからであった。
私の所信によると、なにごとによらずめざましい成功にいたる真の道は、自分でその道を完全に習得することである。精力をいろいろの分野に散らしてしまうのを、私は賢明だと思わない。私の経験によると、たくさんの事業に関係して財政的に成功したという人にほとんど稀にしか会ったことがない。製造事業となると、成功した人はひとりもいない。成功した人たちは、一つの道を選んで、それに終始した人たちである。自分の事業に投資し、それに専心すれば、莫大な利益配当があるということを知っている人が少ないのは驚くばかりである。どのような工場であっても、そこにはどれか一つ機械をほうり出し、新しい能率的なものを入れたほうがよい、といったものが必ずある。また、機械の増設か、新しい作業の工夫によって十分の利益をあげることができるのに、それを怠って、自分の領域以外のものに投資する人が多い。そうした投資から来る最大の収益も、自分の事業を怠ることから生ずる損失をつぐなうには足りないのである。
(中略)
したがって、若い人たちに私が言いたいことは、終生の仕事と決めた事業に時と注意を全部つぎ込むだけでなく、自分の資本の最後のドルまでつぎ込みなさい、ということである。私自身は若い時代にこの決意をした。鉄鋼の生産に全力を集中し、その道の達人になろう、と決めたのであった。
 
 
私たちがなにが自分に最も適し、またできるかを知らず、一芸の達人として安心して、愉快にその道を進むことをしないのは、愚かなばかりでなく、まことに残念である。
 
 
どんなことがあっても、一つの組織のなかで二人の人物が平等の機能をもっているということはありえないのである。二名の総司令官をいただいた軍隊と二人の船長によって操縦される船など考えられないように、一つの企業に、部門は違っても、二人の指揮者がいるなんて致命的である。
 
 
この旅によって、私には新しい地平線が開かれた。それは、私の知的視野を大いに拡大してくれた。当時スペンサーとダーウィンが盛んにもてはやされていたのであるが、私は、彼らの著書に深い関心を持つようになった。私は、進化論者の見解に立って、人類の生活のさまざまな姿を眺めるようになった。中国では孔子を読み、インドでは仏典とヒンズー教の聖典を読んだ。ボンベイでは拝火教徒と親しくなり、ゾロアスター教を学んだ。この旅の収穫として、私はある種の精神的な安定を得ることができた。それまでなにか混乱していたところに、秩序がもたらされた。私の心は落ち着いた。私はとうとう一つの基本的な考え方をとらえることができた。「神の国は汝らのうちにあり」というキリストの言葉が、私にとって正しい意義をもたらしたのである。天国は、過去にでもなく、また将来にでもなく、現在、ここに私たちのうちにある。私たちのなすべきすべての務めは、この世に、また現在にあるのであって、未来にあるものをのぞんで、それを捉えようとあくせくするのは、無駄であると同時に、またなんの収穫もないのである。
 
 
人間としての最高の人物で、また最も優秀な工員は、職をさがして街をうろうろしてはいない。一般的にいって、技術の劣った人たちだけが職にあぶれているのである。私たちが要望しているような種類の人たちは、不況の際でさえ、めったに職を失うのを許されない。新人を雇い入れて、現代の製鋼所の複雑な機械をうまく使いこなすのを期待するのは不可能である。
 
 
私たちが誰かを嫌いだという時、多くの場合、相手をよく知らないからである。それなら、争っている人たちを食事に招き、いやおうなしに、いっしょにすることなのである。喧嘩や論争など、会って話し合えば和解できるのであって、それをせずに、いろいろの人やジャーナリズムを通じて意見の違いだけを聞かされていたのでは、疎遠になるばかりである。
(中略)
一度親しかった友と争ったり、疎遠になったりするのは、人生にとって大きな損失である。