
「エウレカ!(分かったぞ!)」
紀元前3世紀、古代ギリシアの学者アルキメデスが、浴槽から溢れるお湯を見て裸のまま街へ飛び出したという逸話はあまりにも有名です。
彼はその時、王様の王冠に不純物が混ざっているかどうかを見抜くための、物理学上の大発見をしました。
それが「アルキメデスの原理(Archimedes' principle)」です。
この原理は、「なぜ重い鉄の船が水に浮かぶのか?」「なぜヘリウムガスを入れた風船は空へ飛んでいくのか?」といった疑問に対し、たった一つのシンプルな数式で完璧な答えを与えてくれます。
本記事では、アルキメデスの原理の定義から、なぜ浮力が発生するのかというメカニズムの数学的証明、氷山や気球を用いた実践的な計算問題、そして船舶工学における「復原力」の基礎までを、数式を交えて網羅的に解説します。
直感的な理解を超えて、浮力を「計算できる力」として操るための知識をマスターしましょう。
- 1. アルキメデスの原理とは?
- 2. なぜ浮力が発生するのか?(メカニズムの解明)
- 3. 浮くか沈むかの境界線(比重と密度)
- 4. 実践計算事例①:氷山の一角
- 5. 実践計算事例②:王冠の真贋鑑定(不純物の推定)
- 6. 気体への応用:気球はなぜ飛ぶのか?
- 7. 船舶工学への応用:浮心とメタセンタ
- まとめ
1. アルキメデスの原理とは?
アルキメデスの原理を一言で定義すると、以下のようになります。
「流体(液体や気体)の中にある物体は、その物体が押しのけた流体の重さ(重量)と同じ大きさの浮力を受ける。」
ここで重要なのは、浮力の大きさは「物体の重さ」とは無関係であり、「押しのけた液体の重さ」だけで決まるという点です。
浮力
の公式
この原理を数式で表すと、以下のようになります。
ここで、各記号の意味と単位は以下の通りです。
・ :浮力(Buoyancy Force)
]
・ (ロー):流体の密度
]
・ :物体が排除した(押しのけた)流体の体積
]
・ :重力加速度
] (約 9.8)
この式は、物理学や工学において に次いで重要な式の一つと言っても過言ではありません。
「水中で物体が軽くなる」のではなく、「上向きの力が加わっている」と理解することが第一歩です。
2. なぜ浮力が発生するのか?(メカニズムの解明)

「押しのけた分だけ力が働く」というのは結果論です。
物理学的に「なぜ上向きの力が生まれるのか?」を理解するためには、「水圧(圧力)」の概念が必要です。
水圧の正体
水深
] における水圧
] は、その上にある水柱の重さによって決まります。
つまり、深く潜れば潜るほど、水圧は高くなります。
この「深さによる圧力差」こそが、浮力の正体です。
直方体モデルによる数学的証明
水中に沈んだ、底面積 、高さ
の直方体を考えてみましょう。
この直方体の上面の水深を 、底面の水深を
とします。
(当然、 です。)
1. 側面の力
側面にかかる水圧は、四方八方から均等にかかるため、互いに打ち消し合います。
したがって、水平方向の合力はゼロです。
2. 上面にかかる力(下向き)
上面には、水圧によって「下向き」に押される力が働きます。
これを とします。
3. 底面にかかる力(上向き)
底面には、水圧によって「上向き」に押される力が働きます。
これを とします。
4. 合力(浮力)の計算
底面の方が深い位置にあるため、必ず となります。
つまり、上向きの力の方が、下向きの力よりも強いのです。
この差額が浮力 です。
ここで、 は直方体の高さ
です。
そして、 は直方体の体積
そのものです。
これにより、「浮力は、物体が排除した流体の重さに等しい」ことが数学的に証明されました。
どんなに複雑な形状であっても、微小な直方体の集まりとして積分すれば、同じ結果が得られます。
3. 浮くか沈むかの境界線(比重と密度)

物体が水に浮くか沈むかは、「浮力」と「重力」のどちらが大きいかで決まります。
物体の密度を 、体積を
とすると、物体にかかる重力
は以下の通りです。
一方、物体が完全に水没した時に受ける浮力 は、水の密度を
として、
勝敗の判定
両者の式を見比べると、 と
は共通です。
つまり、勝負は「密度の大きさ」だけで決まります。
・ :浮力 > 重力 ⇒ 浮く
・ :浮力 < 重力 ⇒ 沈む
・ :浮力 = 重力 ⇒ 水中を漂う(中性浮力)
鉄の船が浮くのは、鉄そのものの密度は水より大きくても、船の中が「空洞(空気)」になっているため、船全体の「平均密度」が水よりも小さくなっているからです。
4. 実践計算事例①:氷山の一角
「氷山の一角」という言葉がありますが、実際に水面上に出ているのは全体の何パーセントなのでしょうか?
アルキメデスの原理を使って計算してみましょう。
条件
・氷の密度
・海水の密度
・氷山の全体積を 、海面下の体積を
とする。
計算プロセス
氷山が浮いているということは、「氷山の重さ」と「浮力」がつり合っている状態です。
1. 氷山の重さ(重力)
2. 浮力(押しのけた海水の重さ)
浮力に関係するのは、海に沈んでいる部分の体積 だけです。
3. つり合いの式
両辺から を消去し、
について解きます。
数値を代入します。
つまり、氷山の約 89.5% は海中に沈んでいます。
水面上に出ているのは、残りの 約 10.5% に過ぎません。
これこそが、タイタニック号のような事故が起こる物理的な理由であり、アルキメデスの原理が示す真実です。
5. 実践計算事例②:王冠の真贋鑑定(不純物の推定)

アルキメデスが解決したとされる王冠の問題を、現代風にアレンジして計算してみましょう。
「金の王冠」と言われて渡されたものが、実は「銀」が混ざった偽物ではないか?という問題です。
条件
・王冠の質量(空中): (
)
・王冠を水に沈めたときの質量(水中重量): 分の重さを示した。
・純金の密度:
・純銀の密度:
・水の密度:
Step 1:王冠の体積を求める
水中で軽くなった分(浮力)は、 分の重さです。
アルキメデスの原理より、これは「押しのけた水の重さ」に等しいです。
水の密度は なので、押しのけた水の体積(=王冠の体積
)は、
Step 2:王冠の密度を計算する
質量と体積がわかったので、王冠の平均密度 を計算します。
Step 3:判定
計算された密度 は、純金の密度
よりも明らかに小さい値です。
したがって、この王冠には金よりも密度の低い物質(銀など)が混ざっている「偽物」であると断定できます。
この方法は、壊したり削ったりせずに内部の組成を推定できる「非破壊検査」の先駆けと言えるでしょう。
6. 気体への応用:気球はなぜ飛ぶのか?
アルキメデスの原理は、液体だけでなく気体(空気)にも適用されます。
熱気球やヘリウム風船が飛ぶ原理も全く同じです。
条件
・風船の体積:
・空気の密度:
・ヘリウムの密度:
・風船自体の重さ(ゴムなど):
揚力(Lift)の計算
風船が浮く力(正味の揚力)は、「浮力」から「中身のガスの重さ」と「風船の殻の重さ」を引いたものになります。
1. 浮力(押しのけた空気の重さ)
2. ヘリウムガスの重さ
3. 風船の殻の重さ
4. 持ち上げられる荷物の重さ(ペイロード)
これを質量に換算すると、 となります。
つまり、この風船は約 までの荷物を吊り下げて空に浮くことができます。
熱気球の場合は、バーナーで内部の空気を温めて膨張させ、密度を下げることで、周囲の冷たい空気との密度差を作り出し、浮力を得ています。
7. 船舶工学への応用:浮心とメタセンタ

船の設計において、アルキメデスの原理は「浮くか沈むか」だけでなく、「転覆しないか(安定性)」を計算するためにも使われます。
重心(G)と浮心(B)
・重心(Center of Gravity, G):船そのものの重さが作用する点。
・浮心(Center of Buoyancy, B):浮力が作用する点。押しのけた水(船の浸水部分)の形状の幾何学的中心。
船が傾いたとき、水中の形状が変わるため、浮心Bの位置が移動します。
この移動によって、船を元の姿勢に戻そうとする回転力(復原モーメント)が発生します。
メタセンタ(M)とは
船がわずかに傾いたとき、浮力の作用線が船の中心線と交わる点を「メタセンタ(Metacenter, M)」と呼びます。
・ が
より上にある(GM > 0):安定。船は元に戻ろうとする。
・ が
より下にある(GM < 0):不安定。船はそのまま転覆する。
船の設計者は、荷物を積んで重心Gが高くなっても、必ず がそれより上に来るように、船底の形状(浮力の発生の仕方)を計算しています。
これもすべて、アルキメデスの原理に基づく流体力学の応用です。
まとめ
アルキメデスの原理は、流体力学の中で最も古く、かつ最も美しく実用的な法則です。
・原理の本質:浮力は「押しのけた流体の重さ」に等しい。
・公式:
・メカニズム:深さによる圧力差(下から押す力 > 上から押す力)から生じる。
・密度差: なら浮き、
なら沈む。
お風呂のアヒルから、巨大タンカー、そして飛行船に至るまで、すべての「浮くもの」はこのたった一つの式によって支えられています。
この原理を理解すれば、目に見えない「流体の力」を計算し、設計に活かすことができるようになります。


