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読書メモ:「ヒトラーの秘密図書館」 ティモシー・ライバック

 

ヒトラーの秘密図書館

ヒトラーの秘密図書館

 

「ヒトラーは読書家だった。少なくとも一晩に一冊、ときにはそれ以上の本を読んだという。彼は16,000冊以上の本を所有していた。」

学歴コンプレックスを解消するために貪るように、真剣に書物に向き合ったヒトラーの蔵書は戦後の混乱の中で大半は散逸して所在不明である。

著者は、アメリカ議会図書館とブラウン大学で保存されている1,300冊を紐解き、さらにその中からヒトラーが確実に読んで参考にしたと確定的に思われる10冊について紹介している。

単純なブックレビューではまったくなく、ヒトラーが人生、あるいは政治のどの時期に読んで、そしてそこから何を得たかということが膨大な資料の精査、関係者のインタビューから浮き彫りになってくる。情報のソースも巻末に一覧で示されており、学術的価値も非常に高い。

ヒトラーやナチスの歴史は世界的に悪だが、その思想がいかにして育まれたかの過程の一部を伺い知ることができる。その醸成にヘンリー・フォードの「国際ユダヤ人」やマディソン・グラントの著書といった米国で出版された本が少なからぬ影響を与えたという事実に驚く。

ヒトラーは自分の中に芽生えたまだ蕾のような政策や思想の考えを補完するために読書をしていたのだろう。少なくとも人種論や政治についての本に関しては。ニュートラルな頭で著者の意見に耳を傾け、忖度するのではなく、既に自分の中に「これは」と思える考えがあってその裏付けを得ようとしていたように感じる。そしてその考えというのが、非常に偏向なものであったために、極論的な言説の本を周りに吸い寄せ、またヒトラーという人物の熱心な勉強ぶりもあいまって加速度的に危険な思考に走っていったものと思われた。

 

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以下、読書での私的メモ。

 

かつてヴァルター・ベンヤミンは、蔵書を見ればその所有者の多くのことーその趣味、興味、習慣ーが分かる、と語った。その人が手元に残した本も捨ててしまった本も、読んだ本も読まないことにした本もすべて、その人の人となりのなにがしかを物語る、と。「ドイツ人」であると同時に「ユダヤ人」であることが可能であった時代のユダヤ系ドイツ人文化批評家ベンヤミンは、「文化」というものの超越的な力を信じていた。創造的表現は我々の住むこの世界を豊かにし啓発するのみならず、ある世代を次の世代に結びつける文化的接着剤の役割を果たす、と彼は信じていた。これは、古代の名言「芸術は長く、人生は短い」のユダヤ系ドイツ人的表現と言えよう。
 
  
ローマの知恵の女神ミネルヴァと梟を引き合いに出してベンヤミンが引用しているのはもちろん、十九世紀ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの有名な格言「ミネルヴァの梟は黄昏を待ってようやくその翼を広げる」である。ヘーゲルがこの言葉で言わんとしているのは、ある事象の哲学的研究はその事象が完結して初めて可能になる、ということである。
 
 
 
初期のナチス党員だったハンス・カレンバッハは、当時を振り返って、ヒトラーが夜の読書の習慣を続けられるように夜間消灯命令が解除されたと述べている。「いつも夜遅くまで、たった一つだけ灯りがついていた。それは総統の部屋の灯りだった」とカレンバッハは回想録に書いている。「孤独な夜の数時間、アドルフ・ヒトラーは本や書類を前にして、ドイツの復興に取り組んでいた。」看守たちは、彼に「ジーク・ハイル!」と挨拶するように言われていた。
 
 
この生原稿の中には、情報を処理し、自分の思想と格闘し、自分の言葉が紙の上に現れるのを見守り、文体とニュアンスを吟味し、ときに文法や構文でつまずいては訂正し、再び絶え間のない奔流のような文を繰り出していく、執筆中の著者の精神が息づいている。
 
 
ヒトラー自身が『我が闘争』で述べている読書論も、ミシュコルジー説を補強している。ヒトラーは読書というプロセスを、自分が元々抱いている観念という「モザイク」を完成させるための「石」を集めるプロセスにたとえている。まず目次や索引を調べ、それから「使える」情報を探して選んだ章を読む、と彼は述べている。時には、あらかじめ何を探すべきか決めるために、まず結論を先に読むこともある。読書する際には、自分の個人的必要や一般的な知識のために有益な情報を「瞬時に」見分ける技術を磨く必要がある、と彼は言う。
「このような方法で得た知識が、あれやこれやの問題に関してすでに自分の頭の中に何らかの形で存在している観念と正しく統合されると、それは修正的あるいは補完的な働きをする。すなわち、自分が元から抱いていた観念の正しさ、あるいは明快さを高める働きをする」とヒトラーは書いている。
(中略)
この読書法によって、ヒトラーは、戦車の製造から舞台作品まで無数の問題に関して膨大な量の情報を記憶し、事実上即座に思い出すことができた。フリードリヒ・シラーとジョージ・バーナード・ショーの作品をヒトラーが比較するのを聞いたゲッベルスは、その晩帰宅して日記に、「この男は天才だ」と書き付けた。
 
 
この区分けプロセスと似ているのが、ヒトラーが所有していた「ブロックハウス大百科」である。最大限に効率的・効果的に知識や情報を取り出せるようにデザインされたこの二十巻セットの革装豪華本は、独学者ヒトラーの究極の情報源だった。誰もが証言しているように、何かを調べたり確かめたりするとき、ヒトラーは好んでこれを使っていた。クリスタ・シュレーダーは、川の長さや都市の大きさについて議論になるとヒトラーは必ず百科事典を引いた、と書いている。「そんなとき、何事にも極端に厳格だったヒトラーは、絶対に間違いがないように二種類の百科事典を引くのだった」。
 
 
客人や取り巻きたちが帰ったあとのこと。頭を垂れ、腕を後ろに組んで、彼が庭を何時間も散歩していたときのこと。月の光に照らされたウンタースベルクをじっと見ながら、彼がベルクホーフのバルコニーに深夜までたたずんでいたときのこと。書斎をヴァーグナーの「ローエングリン」の美しい旋律で満たし、霧に包まれた稜線をじっと見ていたときのこと。彼らの話は、ヒトラーとウンタースベルクとのあいだに雰囲気と精神の対称性が存在したことを物語っている。点在する緑の草地、切り立った崖、一年のほとんどを雪で覆われた山頂を持つウンタースベルクは、オーストリア首相シュトニヒが訪ねたときのように、一瞬のうちに不気味で恐ろしい山に変貌することがあった。
 
 
ヒトラーはクラウゼウィッツやモルトケやシュリーフェンの知恵を吸収しただけでなく、『兵器年鑑』から膨大な量の技術データをも学び取っていた。「彼は兵器に関して並はずれた知識を持っていた」と彼の報道担当官オットー・ディートリヒは述べている。「たとえば、彼は参考書に載っている限りの、世界中のあらゆる軍艦を知っていた。製造年、排水量、スピード、装甲の頑丈さ、船橋や装備について、彼は克明に暗記していた。彼はあらゆる国々の大砲や戦車の最新構造を熟知していた。」
 
 
戦争の歴史を書くのは結局は勝者なのだ。
「真実を語ったか否かを、あとから勝利者が問われることはないだろう」。