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読書メモ:「自助論」 サミュエル・スマイルズ

 

自助論

自助論

 

本棚から引っ張りだして久しぶりに読み返した。買ったのは確か新卒1年目の2011年だったのでおよそ10年振りとなる。

勤勉、実直、誠実に生きることの大切さと利点が説かれていて、著者個人の経験に基づく思想いうよりかは、古今の偉人(特にイギリスが多い)を例に挙げながらの生き方についての説教なので厭らしさがない。ここまで人の精神の根幹を成すことを著者が述べるには、著者として相当の実績や権威がないとできないが、偉人の伝記ダイジェスト集のような形で、ありきたりな説教も真面目に傾聴すべき教えとしてスッと耳に入ってくる。

なかでも、イギリスにおける奴隷解放に尽力したデイヴィッド・リビングストンと、世界で初めて血液循環説を唱えたウィリアム・ハーベーの生涯は非常に印象に残り、自分自身これを読んだことで強く勇気をもらい、発奮できた。

ところでこの「自助論」の原著は、イギリスでジョン・マレー社より1859年に発行された。そしてそのわずか12年後の1871年(明治4年)には「西国立志編」として日本で翻訳本が出版されていたらしい。当時日本では、福沢諭吉「学問のすすめ」と並んで明治の世で大ベストセラーとなり、日本でも若者たちに広く読まれていたようだ。

 

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以下、読書での私的メモ。

 

人間は、読書ではなく労働によって自己を完結させる。つまり、人間を向上させるのは文学ではなく生活であり、学問ではなく行動であり、そして伝記ではなくその人の人間性なのである。
 
 
ニュートンの飼い犬ダイヤモンドが、机の上に立ててあったローソクを何かのはずみで倒し、貴重な書類が一瞬のうちに灰になってしまったというのは、あまりにも有名な話だ。長年の研究の成果が跡形もなく失われたショックで、ニュートンはその後しばらくの間、健康を害し、理解力もかなり減退したという。
歴史家トマス・カーライルにも似たような体験がある。彼は、その著『フランス革命』第一巻の原稿を友人の一人に貸し与えた。ところがその友人は、原稿を居間の床に置いたまますっかり忘れてしまった。数週間の後、印刷工から原稿を催促されたカーライルは、使いの者に取りにやらせた。ところが友人が預かったはずの原稿は、その家の女中が反故紙だと思いこんで、暖炉の火をおこすために燃やしてしまったのである。
ことの顛末を聞いたカーライルの胸中は想像に難くない。だが、もはやどうすることもできなかった。後には、再び机に向かってペンをとるしか道は残されていないのだ。記憶の糸をたぐり、すでに忘れかけた内容や表現を思い起こしながら、彼は一からやり直しはじめた。最初に書いていたときは執筆の喜びもあったが、同じものをもう一度仕上げるとなると、それは苦痛と煩悶以外の何ものでもない。
だが、カーライルはそのつらさに耐え、最後まで仕事をやり抜いた。カーライルのこの経験は、固い決意さえあればたいていの目標は成就できることをわれわれに教えている。
 
 
「時間とは消滅するものなり。かくしてその罪はわれらにあり」
オックスフォードのオール・ソウルズ・カレッジの日時計に刻まれたこの厳粛な言葉ほど、若い人々への訓戒の辞にふさわしいものはない。永遠なるこの世の真理の中で、わずかに時間だけはわれわれの自由裁量にまかされている。そして人生と同じように時間も、ひとたび過ぎてしまえば二度と呼び戻せはしない。
 (*ドラえもんの時間がビュービュー流れている漫画の一コマを思い出す)
 
 
ウィリアム・ハーベーは、血液が体内を循環しているという事実を最初に発見した医師である。彼はその説を公表するまでに8年以上も研究を続け、慎重に実験を繰り返して自らの発見の正しさを確かめた。というのも、その説は当時の学会から猛反対を受けると予測されたからだ。
そして、ハーベーはいよいよ自分の発見を一冊の本として公表する。その論文は表現こそ穏やかだが、論旨は単純明快で説得力にあふれていた。しかしながら、彼を待ち受けていたのは嘲笑の声だけだった。彼の説は気の違ったペテン師のたわごととして片付けられたのである。
 
ミケランジェロは、疲れの色も見せず創作に熱中するタイプの人間だった。彼は同時代の芸術家の誰よりも長い時間を仕事に費やしたが、それができたのも彼自身の質素な生活習慣のおかげである。ほとんど一日中制作に携わっているミケランジェロが必要としたのは、一切れのパンとグラス一杯のワインだけだった。床に就いても、たいていは夜中に起き出して、仕事の続きに取りかかった。そんなときには、厚紙で作った帽子にローソクを立てて火をともし、その帽子をかぶって彫像を照らしながらノミをふるった。疲れはてると服を着たまま眠り、疲労がとれるとすぐさま仕事に戻った。
 
 
十歳になったリビングストンは、グラスゴー近辺の綿工場へ働きに出された。彼は仕事に就いて初めてもらった給金でラテン語文法の本を買い、ラテン語の勉強を始めた。そして、以後何年間も夜学に通ってその勉強を続けている。
工場では毎朝6時から仕事が始まるが、早く寝るようにと母親から注意されない限り、彼はいつでも真夜中過ぎまで勉強に打ち込んだ。こうして、こつこつとではあるが古代ローマの詩人ベルギリウスやホラチウスを読み終え、さらに小説以外の本ならどんなものでも目を通した。なかでも、科学書や旅行記を多く読んだという。
わずかな余暇には、近郊を回って植物を採集し、植物学の研究にも精を出した。工場の機械がうなりを立てて回っている間も、彼は読書を実行している。自分が操作するジェニー紡績機の上に本を置き、機械の前を通るたびに一節ずつ読めるように工夫したのだ。こうやって、がんばり屋の若者は知識をたくさん身につけていく。そしてだんだんと彼の心には、世界のすみずみにキリスト教を伝道したいという夢が芽生えはじめた。
目標が定まったリビングストンは、単なる伝道師以上の資格を身につけるため、医学の勉強を開始する。生活を切り詰め、できるだけ金を貯めては冬期だけグラスゴー大学で医学とギリシア語と神学を学び、残りの期間は綿工場で働いた。大学の費用はすべて自分の工員仕事の給料でまかない、誰からも一文の援助も受けなかった。(中略)
かくしてリビングストンは医学課程を修了し、ラテン語の論文を書いて試験にパスし、内科と外科の開業資格を手に入れた。
 
もちろんバクストンは精神修養の方もおろそかにせず、夜間は学問に励んだ。
「読みはじめたら必ず読み通せ」
「中味を完全にマスターするまでは、その本を読破したなどと考えるな」
「精神を集中させて、あらゆることがらを学べ」
これらは読書についての彼の格言である。
 
 
実際、時間を浪費していては精神の中に有害な雑草がはびこるばかりだ。何も考えない頭は悪魔の仕事場となり、怠け者は悪魔が頭を横たえる枕となってしまう。忙しく活動しているのは他人に空き家を貸しているのと同じで、逆にブラブラ怠けているのは空き家をカラッポにしておくようなものだ。空き家になった精神には、妄想の扉が開くにつれて誘惑が忍び寄り、邪悪な考えが群れをなして入り込んでくる。
航海においても、船員は暇が多いほど不平不満をつのらせ、船長に刃向かうようになる。そのことを熟知していたある老船長は、何も仕事がなくなると必ず「イカリをみがき上げろ!」と船員たちに命じたそうである。
 
 
借金を避けるには、金の出入りに絶えず心をくばり、収支をきちんと記録しておくことが肝心だ。哲学者ジョン・ロックは「金の出し入れを几帳面に見張る習慣は、分相応の生活を送るために大いに役に立つ」と語っている。
 
 
かつてレナーズは、自分の学習法の秘訣をこう語った。
「法律の勉強を始める時、私は決心したのです。”学んだ知識は完全に自分の血肉にしよう、そして一つのことがらを徹底的にマスターしないうちは、絶対に次へ進んではならない”と。ライバルの多くは、私が一週間かかって読む本を一日足らずで片付けていました。けれど、一年も経つとどうでしょう。私の知識は、それを覚えた日と同じように鮮明に残っていましたが彼らは学んだことをすっかり忘れていたのです」
 
 
とくに幼少時代にはこの傾向が強く、「目は知識の専用の入口だ」といっても過言ではない。子供は、見たことを何でも無意識に模倣する。昆虫の体が、常食にしている草の色に似るように、子供もいつの間にか周囲の人間と似通ってくる。
家庭教育が重要だといわれるゆえんはそこにある。いくら学校教育が有益だとしても、家庭で示される手本の方が子供の性格形成にははるかに大きな影響を与える。家庭は社会の結晶であり、国民性の核を成している。われわれの公私の生活を支配する習慣や信条、主義主張は、それが清いものであれ汚れたものであれ、家庭の中で培われる。国家は子供部屋から生まれる。世論の大部分は家庭から育っていく。そして最高の人間愛も、家々の炉端で育まれるのだ。